舘そらみのオトコミシュラン

2017年は、セブ島か東京に居ます。

We ARE X という映画を勧める使命を、私は勝手に負っている。

X JAPANドキュメンタリー映画が公開されている。

正確に言うと公開ももう終盤で、私は初日に見に行く使命を担っていたのに(勝手な責任感)、X友達となかなか日程が合わなくてやっとこさ見に行った。

一人で見る勇気は出なかったのだ。

 

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(最近は街中で、広告を見つけたら写メって呟くのが使命)

 

wearexfilm.jp

 

eiga.com

 

30年の、X JAPANの歩みを描いたドキュメンタリー。

ものすごい覚悟で見に行ったんだけど、ファンにとっては「うん、見守ってたよ」の心境。

どちらかと言うと、「うん、そうだったね、共に経験していたよ」の心境。

Xの歩みと共に私の人生はあったから、まるで家族の物語でも見ているような不思議な気分で、すんなり見ていた。

描かれること全部、知ってた。全部、ずっと見てた。

  

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残念ながら私は、この映画をもはや全く客観的に見れてないので、色々分からない、全く分からない。

でも「Xが好き」って言いまくることを選んだので、「今映画やってるよ」も言うのです。勝手なる、自己満の使命感なのです。

 

そういえば映画の中で、Xは「人の痛み・人の傷に寄りそう存在」なんて言われていて、

「ああ、そうだなあ、私もキズに寄り添われたんだなあ」とか思い出した。

 

私のその傷は早熟で、あれは12歳の時。

12歳なんてガキンチョだけど、ガキンチョにも絶望は訪れるもので、あれは紛れもなく絶望という心境で、12歳は12歳ながら絶望と孤独の中に居た。

そこに、入ってくれたのがXだった。それまでも好きだったものの、その瞬間、私は完全に彼らを信頼した。

「世の中楽しいことあるよ」なんてことは言ってくれず、

「私以外にも、苦しみまくって、それを叫んでいる人がいる」という感覚だったように思う。

全てが自分から遠いものに見えていたなか、Xだけが傍に居る存在に思えた。

今から思うと、Xが私を世界にとどませてくれたなーと思う(12歳の絶望というやつはそういう側面を持つ)

 

なので、なんというか、傷がある人は見たらいいと思う。いや、わかんないけど。

もうホント、Xに関することは分からない!

でも、漠然と名前と曲と、洗脳や死があったことは知ってても、実際どんな歩みか知らない方も多いと思うので、

これだけずーーーーーっと、ただただ前へ前へ進もうともがいてきた存在であったのかって、驚きであると同時に刺激になるんじゃないかなあ。

監督も、有名な方らしい。様々な映画祭の賞を取っていたり、今サントラがイギリスでチャート1位になったりもしてます。よ。

 

不思議だなあと思うのは、いつの間にか、Xという存在がアーティストそらみにとっても創作刺激になっていて、表現の原動力になっている。

今のささやかな夢は、ラジオに出て、Xの曲をかけること。想像するだけで、小学生の私が呆然と喜びそうでワクワクする。

 

もうすぐ終わっちゃうからね。

使命感による、「終わっちゃうよ」っていう投稿。

「オラ、強くなりたいんだ!」と、仲間たちと12時間公道で立ち続けます。

色々お話したいことが溜まって来ているので、書くのも良いけど直接話す機会があったらいいのになあとか思っている。

【次回の公演】「他重人格」

【映画】

DVD発売中「私たちのハァハァ」

【WEBコラム】

「31にもなって約2週間仕事もせずにXを無心で追いかけてみる」

「初めましての恋バナ図鑑」

【劇評】

2月2日朝日新聞デジタル

【掲載】

週刊SPA!「いま、女たちが「都合のいい男」を欲しがるわけ」

LIG「言葉オタクなんです、私」

 

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