【開幕前日】精魂込めて作ったものを宣伝するのに遠慮など要らない、そう思うのに3年かかった。
毎日毎日、倒れんばかりに1つの作品を作っている。
よう倒れんなあ、と本当に感嘆するばかりである。
よう倒れんなあ、の働きをしてるのは私だけではなく、どころか私よりもずーっと働いている人が溢れていて、本当によう倒れんなあ、なのです。
演劇作りの現場の話。
睡眠時間削って、当たり前のように夜中まで連絡取り合って、出会ったらあくびなんて決して出さないで、頭も体もフルスロットルで稽古をしまくり、お酒を飲みながら作品のことをあーだこーだ語り、家に帰ればそれぞれが自分の職務を果たす。私であれば演出のプランを練ったりスタッフさんと連絡を取ったり。俳優さんはセリフを覚えたり小道具を集めたり。
好き、以外の何と形容しよう。
だって私たちこれ、大したお金ももらってないんだから。
よく「貧乏演劇人」みたいな形容をされるけど、私たちはきっとそれに入るのだろう。
持っている技術は「専門家」と呼ばれるのにふさわしく、十分な技能であるにも関わらず、時給にすれば数円の世界で、一切の妥協もせずに作品を作り続ける。
もっと深く、と自分を追い込み、誰に頼まれたこともない境地へ努力をし続けるものを、当たり前のこととしている。いや、努力とすら思ってないかもしれない。
もっといい作品へ、もっといい作品へ、の思いに突き動かされて進んでいるだけ。
間違いなく一般的にはこれは、「好きだから」と言われるのだろう。
でも本人たちは、実はもう「好きだから」なんて境地はとうに超えている。
なぜここまでするのか、もうきっと説明もつかない。
でも私たちは、最大の努力と愛を持って、とにかく信じられないほどストイックに、作品を作っています。
客席を覆うのは、本当に少しの人数だけれど、そんな少しの人に向けての数回の公演に向けて、追求しまくるのです。
なんて、不毛なことをやっているんだろう。
でもなんだろ。止められないし、止める気もない。この作品を、作りたい。
こんな感覚を、久しぶりに味わっている。
演劇の演出業から逃げて約3年。あまりの大変さにストレスをためまくってしまい、パンクしたのは3年前。
ブランクなんて、なんてことねーや。ブランクを感じさせるものなんてなんもなかった。
だって演劇やってなかった期間も、作るあてもないのに「次に作りたい作品」をいつも考えてた。
正確に言うと、「次に作りたい作品」を考えずに毎日を生活することは私には難しい。気づけばすぐ考えちゃって、頭の中には舞台が組まれて俳優がすぐ演じ始めちゃう。
どんだけ好きなんだろ。骨の髄の髄すぎるだろ。
こうやって、公演が始まるからって「来てね」的な文章を打つのも久しぶり。
この文面の正解はいつまで経っても分からない。
でも、3年経って思うのは、
もちろん今作っている作品が、どの程度面白いと思ってもらえるかなんて分からないけど、でも私はプロとして恥じない作品作りを間違いなくしてるのだから、
自分が「面白い」と感じる作品を堂々と世に勧めていけばいいのだということ。
見て!と、叫んでいいのだと。
作品を作りました。
脚本を書き、演出をしました。集う仲間たちと、色んなもんかなぐり捨てて作りました。
そうして出来上がった作品は、とても愛おしく、パワフルなものになった。
んでもっていつの間にかこの作品は、大きな声で叫んでいたよ。
「生きろ、生きろ」と。
「もっと広い世界を見ろ」と。
私が幼い頃に演劇に救われたように、この作品が誰かの心に「カシャッ」とハマることを願っている。
始まる始まる。
大の大人たちが、精魂込めて、誰に頼まれたわけでもないのに、息を吹き込みまくった作品が。
「生きろ、生きろ」と込めました。
おじさんたちが女子中学生を演じる、というなんともけったいな作品になったけど、
今、作りたいものを、どんどん形にしていったらこんな形になった。
この作品で、世界が平和になればいい!
何をバカなこと言ってんじゃいって感じだけど、でも、それくらい思わないと、何も書けないし何も作れない。
バカな子かもしれない、愛されないかもしれない、
でも、私から見ればこの子は、人に十分愛されるに値する、
誰かを幸せにできる子なのです。
月曜日、「落ちるな中学生」開幕。
詳しくは、HPでチェックしてくり。コチラからも予約できる。23日から29日までの一週間だよーーん。(最寄り駅は代々木上原か幡ヶ谷だお)
※売り切れの回も出てきているので、どうかお急ぎください。
FunIQ×舘そらみ「落ちるな中学生」
出演:辻貴大/日比野線/家田三成/海老根理/太田旭紀/立川せりか/田中祐理子/藤尾勘太郎/松原一郎/和田華子/貴瀬雄二 10/23(月)〜10/29(日) Ito・M・Studio(東京都渋谷区西原 3-28-3)