演劇は消えちゃうなんて、やっぱり寂しいよ
毎日公演が、楽しい。
「落ちるな中学生」という作品を毎日毎日やっている。
やっているのは出演者で、私はただただずっとそれを毎回見ている。
そして、終わったら「もう少しだけこうして」なんてお願いして、また作品を見届ける。
ずーーーっと見ていたいなあって思う。
これだけのものが出来上がってるのに、明日には何もかもなくなってしまうなんて、どうしてそんな勿体無いことができるだろう、と思っている。
どんどんどんどん作品は成長してるのに、終わりにするなんてそんな勿体無いことしていいのかな、とか思っている。
もったいないものは基本再利用ができるのに、
「落ちるな中学生」はこんなにもったいないのに、大人しく終わりにしなくてはいけない。悲しい。
もっともっと、長くやりたかった。
もっともっと、大きいところでたくさんの人に見てほしかった。
なんともいえない切ない思いを抱いて、終わりにしなくてはいけない。
悲しい。
終わりがあるから演劇はいいと人はいうけど、
そんなんやっぱり寂しい。この瞬間しか会えないのがいいというけど、でも会いたい時にいつだって会いたいじゃない。
でも、会えないんだもんなー。
再演しろと誰かはいうが、それもまた、違う話。
同じ相手と二回付き合ったとして、ヨリ戻した時には、一回目と同じってわけにはならないでしょ?いくら同じ相手でも。
別に、もう残席も少ないから、これは宣伝ブログじゃないです。
ただ、「寂しい」という思いが溢れ出そうで、溢れ出してるだけ。
なーんにも無いところから、「こんな作品になったらいいなー」って、1人机に向かってウンウンしてた。人物像もなかなか定まらなくて、一人一人、家族構成とか習い事なんて考えて、「どんな子たちの物語にしよーかなー」ってウンウンしてた。
そうやってこだわって書いた脚本が、人の体を通して、今目の前で、予想を超えた形で生き生きと繰り広げられている。すごいことだなーと。
と、散々「寂しい」と言ったら、
「いやいや、それが演劇だろ、お前いい加減わかっておるだろ、何感傷に浸ってるんだよ」
という人が脳内に現れたので、寂しさはスンと消えました。
そうでしたそうでした、消えるのが、当たり前。
跡形もなく、再現不可能なほどに消えるものを、作っていたのでした。
てことで、彼らは消えゆきます。そして、次の作品にいきます。
それまでの間、「落ちるな中学生」を最大に惜しもーっと。
ああ、寂しい。
ああ、行かないで。ああ、愛しい。