舘そらみのオトコミシュラン

2017年は、セブ島か東京に居ます。

演劇は消えちゃうなんて、やっぱり寂しいよ

毎日公演が、楽しい。

落ちるな中学生」という作品を毎日毎日やっている。

 

やっているのは出演者で、私はただただずっとそれを毎回見ている。

そして、終わったら「もう少しだけこうして」なんてお願いして、また作品を見届ける。

 

ずーーーっと見ていたいなあって思う。

これだけのものが出来上がってるのに、明日には何もかもなくなってしまうなんて、どうしてそんな勿体無いことができるだろう、と思っている。

どんどんどんどん作品は成長してるのに、終わりにするなんてそんな勿体無いことしていいのかな、とか思っている。

 

もったいないものは基本再利用ができるのに、

「落ちるな中学生」はこんなにもったいないのに、大人しく終わりにしなくてはいけない。悲しい。

 

もっともっと、長くやりたかった。

もっともっと、大きいところでたくさんの人に見てほしかった。

 

なんともいえない切ない思いを抱いて、終わりにしなくてはいけない。

悲しい。

 

終わりがあるから演劇はいいと人はいうけど、

そんなんやっぱり寂しい。この瞬間しか会えないのがいいというけど、でも会いたい時にいつだって会いたいじゃない。

でも、会えないんだもんなー。

 

再演しろと誰かはいうが、それもまた、違う話。

同じ相手と二回付き合ったとして、ヨリ戻した時には、一回目と同じってわけにはならないでしょ?いくら同じ相手でも。

 

別に、もう残席も少ないから、これは宣伝ブログじゃないです。

ただ、「寂しい」という思いが溢れ出そうで、溢れ出してるだけ。

なーんにも無いところから、「こんな作品になったらいいなー」って、1人机に向かってウンウンしてた。人物像もなかなか定まらなくて、一人一人、家族構成とか習い事なんて考えて、「どんな子たちの物語にしよーかなー」ってウンウンしてた。

 

そうやってこだわって書いた脚本が、人の体を通して、今目の前で、予想を超えた形で生き生きと繰り広げられている。すごいことだなーと。

 

と、散々「寂しい」と言ったら、

「いやいや、それが演劇だろ、お前いい加減わかっておるだろ、何感傷に浸ってるんだよ」

という人が脳内に現れたので、寂しさはスンと消えました。

 

そうでしたそうでした、消えるのが、当たり前。

跡形もなく、再現不可能なほどに消えるものを、作っていたのでした。

てことで、彼らは消えゆきます。そして、次の作品にいきます。

それまでの間、「落ちるな中学生」を最大に惜しもーっと。

 

ああ、寂しい。

ああ、行かないで。ああ、愛しい。

 

「オラ、強くなりたいんだ!」と、仲間たちと12時間公道で立ち続けます。

色々お話したいことが溜まって来ているので、書くのも良いけど直接話す機会があったらいいのになあとか思っている。

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「31にもなって約2週間仕事もせずにXを無心で追いかけてみる」

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【劇評】

2月2日朝日新聞デジタル

【掲載】

週刊SPA!「いま、女たちが「都合のいい男」を欲しがるわけ」

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